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パーキンソン病で亡くなった義父の法事で学んだ、人と人のつながりという資産

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パーキンソン病によって義父を亡くした

私は、パーキンソン病が主たる原因で、義父(妻の父親)を亡くしている。64歳の若さで他界してしまった。

亡くなってしまった原因は難病であるパーキンソン病

医療が専門分野ではないので詳しくは書籍・文献を見ていただきたいがパーキンソン病ではドーパミンを分泌する細胞が壊れてしまい、分泌量が著しく低下していく現象が発生する。

ドーパミンの分泌量が減少すると、身体が動きにくくなったり震えがでるという症状が発生する。ドーパミンの減少速度には個人差があるようだが、減少すること自体を止める方法が確立されていないことからも難病として指定されている。

60歳以上の年齢では10万人に1000人、つまり100人に1人(=1%)の割合です。学校で、30人×4クラスの学年があるとすると60歳時点で同窓会をすると誰か1人はパーキンソン病が発病していることになり患者数の多いことも特徴だと言えます。

このパーキンソン病はいきなり進行するわけではないので気づきにくいのではないかと思っている。最初は、ほんの僅かにフラついたり手元が狂う程度の症状、なので疲れているのかな?という程度です。

しかしながら病状が進行すると次第に体が動かなくなってきて歩くことや、座っている状態から立ち上がるという動作でさえ次第に難しくなっていきます。

義父は50歳前後にパーキンソン病が発覚した。難病であるということはすなわち解決策がわからない病ということになるので、少しでもドーパミンの分泌が減るのを抑えられると考えられている治療をしてきた。

そのお陰なのか、進行は遅かったようだ。しかし、それでも止めることはできないのでジリジリと病状は進行していった。

介護が必要になり同居を決断

妻とは結婚前に10年弱、付き合っていてその頃からパーキンソン病のことは知っていたので、いつかはこういう日がくることは認識していた。

いよいよ、普段の生活にも支障が出てきたタイミングで、義父が家で過ごすことを望んだという経緯があったため介護の観点から誰かの手が必要だという結論に達しました。

妻には弟(長男)がおり、どちらが実家に行くかという家族会議・私を含む親族会議が何度か開催されました。妻が同居する=もちろん私も同居することになるので、本当に良いのかという確認は5回や10回でないぐらい尋ねられたように記憶しています。

22~23歳ぐらいのときにはパーキンソン病の名前は知っていたし検索してインターネット上で得た知識もありました。結婚する時に改めて良いのかと聞かれたこともあって十分に理解していたので、新居もいつでもヘルプできるように妻の実家の近くの賃貸マンションにしていました。

同居を決断した後、賃貸マンションから妻の実家をリフォームして近いところの賃貸のマンションに住んでいた私は妻と共に妻の実家へ引っ越すことにしました。

それまでに貯めていた貯金の大半を使って妻の実家の二階をリフォームしました。私の帰宅が当時毎日0時を過ぎている長時間労働をしていましたので、義父・義母に迷惑をかけたり、私自身が後ろめたい気持ちになりたくなかったので玄関とお風呂は別で用意することをしました。(ここにかなりの費用がかかった)

同居して知る、進行したパーキンソン病の大変さ

パーキンソン病というのは次第に身体が動かなくなるという症状があります。しかし、このパーキンソン病だけが直接的な原因で亡くなる方は実は少ないのです。

パーキンソン病が進行すると、歩いている時に足がもつれて突然こけてしまうというような転倒が頻繁に発生します。10mもあれば転倒してしまうのです。

こういったことから、道路を歩いていて転倒し側溝に落ちてしまって頭を打ったり、流れている水で溺れて亡くなってしまう方がとても多いというのは特徴的です。

家の中でも歩いて突然転倒する、もしくは立ち上がる動作の途中で転倒するケースは多いと言います。病状が進行すると、立ち上がろうとするとほぼ転倒することになっていました。

転倒のリスクを避けようとすると、動かないという選択になりますが、そうすると筋力が衰えるので一層、踏ん張れなくなり転倒のリスクが高まるという非常に辛い選択を迫られます。

家の中で転倒を繰り返すことにより、壁という壁は転倒時に肩や頭足が当たって穴が開くということになります。家の中も当時は穴だらけになっていました。

ドアノブを持ったまま転倒してしまったり、ドアノブに全体重をかけたまま踏ん張ることをするので、家中のドアノブは頻繁に破損していました。手で持つとスポッと抜けてしまうようなこともありました。

日常生活に支障をきたすことから、要介護認定を受けることになります。

補助金を利用させてもらい、玄関の段差のある部分に手すりをつけたり、お風呂に手すりを付けたりといったリフォームもかなり施していきました。そもそも段差を無くしてスロープを作るなどバリアフリーも進めてきました。

介護をする家族は、日常生活に支障をきたしているため24時間常に気にかけていなければいけないため負担は大きいです。夜中にトイレに行こうとすると、布団から立ち上がる時、部屋を出る時、トイレのドアを開ける時、立ち上がる時、ドアを閉める時、部屋に戻って戸を閉める時、布団に入る時に転倒するリスクがあるため熟睡することが難しい。

いざ転倒すると、まるで柔道で投げられたかのようなバターン!!という音が家中に鳴り響くことになるので慌てて起きて立ち上がるのを手伝って布団まで一緒にいくことになります。

当の本人はというと、パーキンソン病の薬というのは、どうやら副作用で楽観的になるという副作用があるようで、意外なことに本人はやりたいことは出来ないけれど、日々楽しいと言ってくれていたのが救いです。

これはわかりやすい一例にすぎませんが、こういった生活を数年続けていました。少しずつ進行していくパーキンソン病を見て、いつか来てしまう日に皆が大変だったけど楽しかったねと言えるよう週末には皆で車に乗って出かけるようにしていました。

介護車にも使われることの多いセレナを選んだのも、車椅子のまま乗れるようにカスタムすることがあるかもしれないという思いがあったためです。結局、機会はありませんでしたが。

止めることができなかったパーキンソン病

義父は64歳に亡くなりました。最後は、パーキンソン病が直接的な要因ではなく、入退院を繰り返し体力が落ちていく中で、誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)を起こしてしまったことが原因でした。

当時、長男が妻のお腹の中にいて顔を見るのを楽しみにしてくれていたのですが顔を見せることができなかったのが私と妻は残念に思っています。

あまりにも早い永遠の別れに涙した。私と妻も32歳で父親を失うにはあまりにも早かった。時間の限り一緒に過ごし、家で一緒にリハビリ体操をしたりしていましたが、もっと出来ることがあったんじゃないかなぁと月並みに思ったりもしています。

親孝行したいときには親はなしと言いますが、パーキンソン病に限らず、年齢とともにいろんなリスクが増えてくるので、これを読んでくださった方には親とのコミュニケーションは元気な内からしてほしいと切に願います。

7回忌の法事

もともと、期限を決めて同居を考えたわけではなかったこともあるし、義父が亡くなったからといってその家を出る必要はなく、リフォームした2階に住んでいるというのが今の状況です。

実は義父のパーキンソン病との闘病期間中に私の父も癌が発覚し、2度手術をしています。2度めの手術から5年以上経過していますので当時の癌については一旦クリアとなりますが、本当に親が健康で居てくれるのは嬉しいことだと思わされる日々でした。

細かなことは別途ご希望があればお話したいと思いますが、こういった経緯もあって私は会社からの昇進付き転勤の話を断ったりしています。

 

何度も病院に駆けつけたり、一緒に診察をしに行ったり、手術の日には立ち会ったということをしているんですけれど親の世代というのは何があるかわからないです。

何かがあった際に私や妻が駆けつけてあげられるというのは親達の安心にもなりますし私達もできることは全てやってあげたい、そうなる前から親孝行をしていきたいという気持ちがあります。

車を走らせれば日帰りで十分、両親のところへ行って帰ってこれるというのは、人生において重要なのではないかと私は考えています

 

先日、義父の法事で法事で親戚や義父と関係の深かった方が我が家に集まってくれました。その後、皆で食事をしてきました。

これまで法事というと、昔ながらの習慣でおじいちゃんおばあちゃんを中心に過去の思い出の話をして、最後には必ず健康の話をするという高齢者の集まりだと思うところがありました。

しかし、今回の法事で1つ気づくことがありました。

法事というのは亡くなった故人が、残った人達に対して助け合いの繋がりを維持するという人と人の繋がりの資産をであるということが理解できました。

そういう思いで法事に参加し、来てくださった皆さまさんとの関係を深めようと意識してたくさん会話をしてきました。

すると、これまで知らなかった義父の話や、来てくださった方々と私や妻の関係が深まるような会話をすることもできました。

昔から続くしきたり、行事には先人の思いや意義があるのだと知ることができました。単なる定例行事にすることなく、残してもらった人と人が助け合う繋がりの資産を是非大切にしていただきたいと思いました。

皆さまのお役に経てば幸いです。

 

ではまた次の記事で。

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